人の死
今年は、自分の父が亡くなり、そして妻の父も亡くなった。
身近な人の死は、自分の死をみつめ意識する機会になるようだ。
選択の自由、とよく言われるが、死に至る経過を僕はよく考える。
自由、それは
食の自由
衣の自由
住の自由
誰と生きるか、
仕事の選択、
遊びの選択、
自由にしていい時間の過ごし方、
誰でも人生を自由に生きて、全うしている。
すでに亡くなった人も、今現在生きている人も、そうだと思う。
僕はといえば、
ただ、僕は自分の仕事が好きで、この仕事で働き続けたい。
生きている間、多少の無理ができて、らくに動ける体でいたい。
らくに動ける体、死ぬ直前まで働ける、これを維持したい。
だから、僕は、縁のある方々の体も、死ぬ直前までずっと動ける体でいてほしいって、願う。
仕事をしながら、当たり前の、普通の生活の、食の質、衣の質、住の質、関わる人との時間の質、仕事の質、遊びの充実度・満足度などの質、時間の使い方の質、さまざまに味わうことを感じている。
らくに動ける、一言で言うと簡単だが、複雑で、流されやすいこの時代の中で、みつめていく。
これはそうとうに粗雑な文章って思うが、今日はまとめたくないので、まとめない。